2015年10月21日水曜日

数学の定義と恋愛の関係について

 数学の定義の、恋愛や人間関係における用法について書いてみたいと思います.

 以下、恋愛に全て一本化していますが、単なる人との関係についても、以下の恋愛を全て人間関係に置き換えれば、同じことが成り立ちます.


数学科の学生のための恋愛対策(前置き)

 数学の学生は恋愛には縁がないようなことは、今も昔も変わらないかと思いますが、
そのようなことはさておき、数学の学生の一番の武器は自分の頭脳ではないでしょうか?

 では、どのような戦略で望むのが数学科の学生らしいのか?

 以下、日々数学を使って自らの頭脳を鍛えている人に向けて、どのような対策であれば、数学の学生でも恋愛が可能なのかについて考えることで、縁がないどころか、恋愛は実は全く、数学向きのアクティビティであるとする他ないような結論に至ります.


一般に、なぜ恋愛でうまくいかないのか?

 いくら好きで告白しても成功しないということはよくあることだとは思いますが、
なぜなのでしょうか?


魅力がないから?力に自信がないから?
化粧が濃いせい?目が二重でないから?


 こんな議論は、果てしない昔から、それこそ今もどこかで、恋愛相談として展開している人がいるかもしれません.(いや、いるでしょう.)

人それぞれ、もてるためには努力を怠らないとは思うのですが、努力だけではどうしようもないところもあります.それに、好き嫌いは所詮日々変わってくるものです.
好き嫌いのような表層的なところで議論(および恋愛)していても何も本質はわかりません.それは恋愛ではないかもしれません.恋愛が何かは余り述べないことにします.

しかし、自然とうまくいく為の科学がそこにはあるのです.宗教ではありませんので、これは布教活動でもありません.

ちょっと話がそれたので修正します.ここで、少し数学の話をします.


数学における定義とは

 ところで、数学には必ず定義があります.どうしてかというと、数学もサイエンスの一種でありますから、数学の何かを使って議論をするものなのです.なぜ議論するかというと、数学にも、恋愛にも負けないくらい分からないことがたくさんあり、数学者はそれが分かりたいからです.そして、何かを議論するためには、基本的な事柄に対して共通認識、(直線はこういうもの、整数とは、演算とは、などなど)がなければなりません.言葉なければ、話ができないように、定義がなければ、数学者同士であっても数学の話はできません.


 たとえば、円の定義は、

距離が定義された平面があるとする.その平面上の一点から等距離 $c>0$ にある点の集合

として定義されます.
もちろん、円の定義の前に、距離、平面の定義がいります.

(数学をやるのはかなりめんどくさい作業なのです.....)

 このように円の定義を決めておけば、ある集合が円かどうかは、円いとか感覚にとらわれず、この定義を満たしているかどうかが問題の焦点になります.簡単な例であれば、単なる確認くらいで済みます.

 逆に、定義を決めておけば、ある集合が円でないということもまた分かることもあります(それが難しいかどうかはおいておいて).
定義を決めてしまえば、それ以外を排除することも容易ということです.

 難しい例であれば、ある性質をもつかどうかをチェックするだけで数学の論文が一つ書けてしまうようなものもあります.

また、円かどうか現段階では判断できないと言うこともあります.たとえば、用意された集合に距離が定義されていないような状況とすると、そのような集合が円かどうか判定できないわけです、むしろ、その集合が円となるように距離を定義できるか?という別の問題とすることもできるようになります.


 また、数学の学習の過程でわからなくなったら、このようによく分かっている定義に戻るのが早道です.定義にはこのような便利な側面もあります.

なので、数学における定義の役割は数学の学習や、まだ見ぬ数学のための道しるべといったらよいかと思います.




人との相性と共感覚について

 人と仲良しになれるかどうかは、あらゆるものに対する感じ方が共通しているかどうかです.ものに対して感覚が全く違う人と仲良くなれる気がしません.つまり、その人同士の感覚が共通している(共感覚というか)ことが大事です.感覚が共通するとはどういうことか.数学で言えば、お互いのもつ定義が同じ(もしくは少なくとも似ている)ということができます.

たとえば、その人がもつ、ネコの定義.その人がもつ毛虫の定義....(もちろんこれらは単なる例です)
そのような定義の積み重ねがその人を作り上げているといえます.

 ということは、人と相性がよいかどうかは、そうした定義が大部分で一致しているかどうかなのです.大抵の場合、共通認識の違いが諍いやストレスを生んでいます.

 生化学の分野でしたらここでDNAを比べてみれば?とするところかもしれませんが、数学科としては、そのような手法ではなく、論理思考のみを用いた、人間的かつ極アナログ的な恋愛対策を以下にあげます.

 人間(および人との相性)は、DNAだけでは決まらない、外部要因(教育や環境など)も影響していると考えられます.


数学科らしい、定義を用いた恋愛成功法?

以上のことから、難しいことはさておき、

恋愛で成功するには、仲良しになりたい人との、互いの持つの定義の確認をすることです.
確認するには、数学演習の発表と同じ要領で、言葉で明示してみればわかります.


最初のレベルでは、多くの共通認識を得そうな

「あなたにとって、ネコ(の定義)はなんですか?」

「あなたにとって、キュウリ(の定義)はなんですか?」

「あなたにおける、ネギ(の定義)はなんですか?」
.....

と10ほど質問を投げかけることから始めるとよいでしょう.(上の例はあくまで一例にすぎません.ネコとキュウリとネギが大事ではありません).そして、自分のもつ定義と一致しているかどうかの確認をします.最初にどのようなものの定義を聞けばよいかということはその人のセンスでしょうか.そこはランダムに聞くのがよいのかもしれません.


 もし、一致しているとすると、その定義を用いてさらに話を進め、高度な話の展開を始めます.
さらに、もう少し高度なものの定義を聞いてみるとよいかもしれません.


「あなたにおける、休日(の定義)はなんですか?」

「あなたにおける、音楽(の定義)はなんですか?」

....


 それが一致しているとすると、それらを用いてさらに次の段階の話に.

 もし、どこかのレベルで、決定的に定義が違っていれば、そのような考え方もありますか、と向学のための肥やしとするとよいでしょう.さらに話をするかどうかはその人次第ということになります.

 もし、この話がどこまでも続くのなら、お互いの話は尽きず、大恋愛に発展する可能性があります.もし大恋愛中の2人がいるとすると、毎日、お互いの定義の確認を怠っていないということになるでしょうか.


 愛を告白して、気持ちを伝える、というよくある一発勝負の手法で成功することが少ないということは確率論の基礎を学ぶことでわかるのではないでしょうか.
もちろん、期待値を増やすには、頻度を大きくすれば済むという話かもしれませんが、少ない集合体でそれを行うと信用という別のファクターを失いかねません.


 結局のところ、告白をしあう前に、お互いに話をして同じかどうか確認をしてみるという、言うなれば当たり前の結論に至りましたが、それは、数学者でさえ、日々日頃から怠っていない数学発展方法なのです.よって、数学をがんばって学んでいる学生が恋愛ができないということは全くありえないということにもなります.

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